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洋型墓石はいつ頃から?▶ 記事一覧

大正デモクラシーの中での変化

近代化、富国強兵を目指し猛進した明治時代が終わって、大正時代になると一部の限られた人々といえども、欧米との人的交流も深まり、文化、芸術といった面でも大きな影響を受けることになる。こうした人的な交流の中、今日の洋型墓の原型である横型墓が出現してくることになる。これら洋型墓は、貿易商などとして来日していた欧米人の死によって、母国の様式に従って墓を建てたり、欧米を訪ねた日本人が、その国の墓を模して建墓するといったことから始まった。

自由民権思想の中での大正デモクラシーは、墓の世界にも自由な雰囲気を生むこととなる。

このような中、大正12年に東京・府中に日本初の西欧の霊園を模した、大規模な公園型霊園である多磨墓地が開園する。多磨墓地は総面積128万平方メートルもあり、天然林や原野を利用した広大なもので、園路幅も10m~18mとゆったりした設計となっている。

墓所が欧米風になることで、洋型墓も抵抗なく受け入れる下地ができ、従来の和型三段墓にあきたらない層が、進んで洋型横型墓を建墓するようになった。また横型の洋型墓は、その安定感が好まれて、抵抗なく受け入れられたということもある。

しかし、これら古い洋型墓を、今日の視点で見ると、横型の洋型墓ではあるが、上台石、下台石も備えられていて、日本的アレンジを感じさせる洋型墓ということがいえる。だが、この流れは緩やかな変化を示しながら、次に迎える大きな変革まで続くことになる。

六月書房 仏事ガイド編集部・編 「美しい墓」より

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