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蝉(せみ)と蟻(あり)▶ 記事一覧

蝉(せみ)と松尾芭蕉
松尾芭蕉江戸時代の俳人、松尾芭蕉には蝉をよんだ名句が2つあります。
1つが「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」。これは奥の細道で、山形市の天台宗立石寺(山寺)を訪ねた時のもの。そしてもう1つが、私が芭蕉の俳句の中で一番好きな句で、「やがて死ぬけしきは見せず蝉の声」というものです。
日本の夏の風物詩である蝉は、卵から幼虫の時代を土の中で7~8年暮らし、夏のある日地上に出て羽化、成虫になりますが、わずか5~6日生きただけで死んでしまいます。
しかしながら、その生命力と蝉の声はすばらしく、小さな体で、木や林や森や岩や山を圧倒するような大音声で鳴き続けます。私の少年時代、自宅の庭の柿の木に蝉が飛んで来て大声で鳴き始めた時の心のときめきを、今でも思い出します。
蝉はなぜあんなに何の迷いもなく鳴き続けるのか。わずか数日の命しかないのに・・・・。オスの蝉はメスの蝉を呼び寄せるために、交尾して子孫を残すために全身全霊を込めて鳴くのである。
松尾芭蕉はすばらしい腕の良い料理人である。蝉の鳴く一瞬の夏の日の光景を「やがて死ぬけしきは見せず」とやさしい言葉で表現してしまう。
せみ やがて死ぬのは蝉だけではなく、晩年の芭蕉自身であり、全ての人間、動物植物も同じである。全ての生き物にはいつか死が訪れる。だから子孫に自分の命を伝 えるために、蝉は懸命に鳴き、蛍は夏の夜、光の舞をする。野山の草花も美しい花を咲かせる。やがて死ぬ時が来るから、現在の生を思う存分に生きなさい。芭 蕉はそのように語っているのだと思う。
芭蕉のもうひとつすばらしいことは、奥の細道で、江戸から東北、北陸、京都と日本の広い地域を旅行していることである。その地方地方の山や川や海や野の美 しい風景や、太陽や月や星の動きや風や雲の動きを細かく捕らえ、優しい言葉で一つの俳句を芸術的な名句に仕上げている。芭蕉は旅人だから、その地方で世話 してくれた人々の恩や温かさは人一倍わかる。そのサービス精神には頭が下がる。 現代の日本人も、芭蕉のように蛙や魚や蝉や蝶に対して温かい目を持ち、人生スランプになったら、どこか田舎に旅に出たらよいのではないか。
蝉といえば、「蝉しぐれ」藤沢周平がすばらしい。

蟻(あり)と宮本武蔵
宮本武蔵 蟻(あ り)の話をひとつ。江戸時代初期、剣術日本一といわれた剣豪宮本武蔵は、その晩年弟子の一人にこう質問された。「先生、真剣勝負の他流試合で相手に勝つ極 意をご伝授ください」。武蔵はしばらく考えて相手の目を見て「試合前の緊張した時、じっと地面を見なさい。土の上に蟻が歩いているのが見えたらあなたは勝 つでしょう」と答えたという。
武蔵はなぜ蟻の話を出したのだろうか。現代の人から見れば生死をかけた剣の試合と、足下の小さな蟻がどう関係するのか疑問に思われるかもしれない。がしか し、生涯無敵といわれ、数多くの修羅場をくぐり抜け、武術と人間の道を見究めたであろう武蔵には、戦いの真理が見えたのである。
勝負の土壇場(元々の意味は、首切りの行われた処刑場。土で築いた壇があった。)では、注意力と完成が必要であり、冷静で落ち着きのある者のみが、生き残れるのだと・・・・・。


自殺をしてはいけない

連休のさ中、私の近所の家の娘さんが、マンションの屋上から身を投げ自殺された。37歳独身。中学時代から家に籠り、あまり外へは出られなかったそうだ。ご両親、ご家族の悲しみ、無念さはいかばかりであろうかとお察しする。
人の人生、どこかでボタンを掛け違うことはあるかと思う。自分の家の部屋だけに引き籠もり、ガラス窓や障子の横や後ろには逃げ道がいくつもあるのに気が付 かない。少し回り道をしたり、自分の心の扉をもう少し大きく開けば、もっと大きな明るい広い世界に出られたはずなのだが。
無心に鳴く蝉の時代が彼女にはなかったのか、身を投げる前に地面のけなげな蟻を見る余裕はなかったのか。腹を痛めて自分の子を産み育てる喜びを知ってほしかった。苦しみを乗り越えれば、何倍の楽しみがあったはずなのに・・・・・。
何のお役にもたたなかった私は、今はただ手を合わせ合掌するのみである。

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